わたくしごと。

かなり暗い話です。

他で話せるところがないからここで。自分の中で消化しきれなかったから書くだけなので、読まなくて結構です。













高校のときのお友達が亡くなりました。

直接的な表現は避けますが、自ら、だそうです。

同じクラスだったとき、皆仲がよかったので、二人でプリクラを撮ったこともありました。

クラスが別々になってからは特に連絡することもなく、このまま大人になっていけばそのうち忘れていたかもしれない、そんな距離にいる子でした。



今日、バイトの休憩中に連絡があり、そのことを知りました。

涙は出たけれど、自分が何故泣いているのかはわかりませんでした。

周りの人に迷惑もかけられないし、誰にも何も言わず、放心状態で残りの仕事を片付けました。



悲しむという行為は、

その人がいなくなったことによって、「私が」寂しいからと、

自分の心を慰めている行為なんじゃないか。

それは彼女を悼むことには繋がらないんじゃないのか。

亡くなった人についてあれこれと詮索し、想像することは、侮辱に繋がるんじゃないのか。

想像することも回顧することも許されないんじゃないかという気がして、ただ今できるのは受け止める、ということだけで。



レヴィナスの言っていた言葉が今までよくわからなかったけれど、

彼はわかりにくい言葉で難しいことを書いているように見せかけて、

結局アウシュヴィッツで亡くした自分の大切な人たちに対して、生き残りであることに自責の念を感じていただけなんじゃないか、と思った。



レヴィナスは「犯していない罪への有責性」を感じることが大切だと言いました。

みんな寂しい思いをしているのに。みんな結局一人にしかなれないのに。

でも「私も寂しいよ」と伝えることができたら何か変えられたかもしれないのかな。

そういう自分の想像すら罪のように感じる。

どうしようもない。ただ受け止めるしかない。